第16回 記憶の糸 その4 「色の記憶」 (2011年11月15日)
英国の伝承童謡「マザーグース」に、空の色は何色?という詩がある。空は青、お日さまの色は黄色......、と続く。しかし、お日さまは黄色だろうか?小学校の時クレヨンで描いた太陽は、いつも赤だった。黄色と感じたり、オレンジ色に見えたりすることはあるが、私の頭の中では、太陽とくれば赤だ。
ハリー・ポッターの翻訳で、色にはたびたび悩まされた。作者のローリングに絵心があるせいか、登場人物の目の色はもちろんのこと、魔法使いのマントの色やら、季節ごとに変わる北国の空の色など、微細に描き分けている。困ったのはクルックシャンクスという名の尻尾の曲がった猫の色だ。英語でジンジャー、つまり生姜色なのだが、英国人に聞くと赤だという。英英辞書では明るい茶色がかったオレンジ色、英和辞書ではしょうがの色、赤毛となっている。生姜が赤で太陽は黄色......? 結局オレンジ色の猫にした。赤猫とするのが定石だろうが、魔法の世界にはオレンジ色の方がふさわしいと思ったからだ。
小・中学校で美術を教えた母は、色に敏感な人で、遺された着物や帯の色の組み合わせを見るたびに、その感覚の斬新さに舌を巻く。季節ごとの自然の色をも鋭く感じ取り、銀杏並木の輝くような黄色が好きな人だった。私がその遺伝子を受け継いでいるとしても、まだ発現していないと言い切れるが、それでも母が気づかなかった色の世界を一つだけ知っている。同じ色でも国によって異なって見えるということだ。夏のジュネーブやイタリアで、澄みきった空のような色のワンピースを着ると美しいが、日本で着ると同じ青色なのにどうも冴えない。チルチルとミチルが探し求めた青い鳥が、持ち帰ると違う色になっていて失望するというのは、この現象なのではないかと、勝手に納得している。もちろん周囲の木々や建物の色が違うのも一因だろうが、太陽の光の色が土地によって違うから、というのが私の持論だ。科学的にも、色とは太陽光を反射したり吸収したりする割合らしい。
色は土地によって違うのだ。生まれ育った福島の田舎の四季の色と、現在住んでいるジュネーブの四季の色は違う。太陽の光が違うのだ。色がどんな色に見えるかということが、その土地の人々の感情や考え方に微妙に影響していると思う。土地柄とか国民性も、多かれ少なかれ色の感覚に根ざしているに違いない。
私の太陽は赤、イギリス人の太陽は黄色 ― それでいいのだ。
(月刊福祉 2011年10月号より転載)







